古武術研究家 甲野さんの術を研究しています。稽古会開催中。
2018年02月15日 (木) | 編集 |

動きのための準備運動は不要というのが、昨日のブログの内容だが、型稽古のように腕を相手に向けたような「カラダの構え」も不要と考えている。

相手からの突然の動きに対しては、カラダを整え直すような時間的余裕がないからだ。

では、咄嗟の動きにどう対応するのか?

意識下では間に合わないと思うので、常日頃から身体の内部に力の流れを作っておく。

とりわけ、力が滞る事のないような、植物の導管のように滑らかなパイプを張り巡らせることが重要。

甲野武術の舞が、これを可能にすると考えている。

腰を曲げながら、左手左足中心に行う。井桁の域を出るような動きだが、テンセグリティ構造と竪圧縮が強くかかっている事も重要でしょう。

テクニカルタームの多い難解な表現だが、そんなイメージで行うのが舞。


2018年02月14日 (水) | 編集 |
旅行などで事前に綿密に計画を立てるのも楽しいが、行き当たりばったりの旅も、スリルがあって楽しそう。

動きも同じで、準備に時間をかけすぎると、スリルが逃げていってしまう。

例えば、自分の体重がいくら軽くても、足を動かすにはその体重を持ち上げなくてはならない。

そのため、動き出す際には、体重をどう処理するのかがポイントとなる。

例えば、右足を一歩踏み出す際には、左足に体重を預けるのが一般的。

でも、体重を左足に預けるには時間が掛かり、かつ左足で取った姿勢が右足の動きを抑制する。

つまり、初動にはそれなりの準備が必要となるため、それが気配として露呈し、かつメインの動きの幅を縮めてしまう。

こんな時は、右足だけで体重をやりとりして左足に負荷を掛けず、左足をかつ動かさないこと。

武術では、術理「浮木の腿」を使う。

左足をいくつかの軸で分割して、その軸間で体重をやり取りする。

簡単に行うには、竹馬に載せた腿のように動かすと良い。


2018年02月13日 (火) | 編集 |

今時の寒さもあって、日々の体調が良かったり、悪かったり変動が激しい。

心の状態も、心配事が増えたり減ったりと、日々機嫌が変わる。

だから、感覚も、当に変わるものだと考えた方が良い。いつもの研ぎ澄まされた感覚が、すぐに再現される保証はない。

こんな時は、感覚のどこに滞りがあるのか?いろいろと探ってみると面白い。

やり方は、例えば声を出してみる。いつもの響きがない時は、どこかで力の流れが止まっている。

楽器を扱える場合には、奏でる音から探ると良い。足踏みも効果的でしょう。

もっと、即効で良くするには、赤ちゃんのように這いつくばったり、仰向けで手足をバタバタさせてみる。

これは、多くの場合には、重心が落ち過ぎているからで、重心をカラダの真ん中あたりに戻す意味がある。

赤ちゃんの無垢な感覚が、一時だが蘇る。

2018年02月12日 (月) | 編集 |

昨日、通勤帰りのバスの中で、何やら叫んでいる人がいる。「疲れた、やめたい」と一人で復唱している。

きっと、相当な仕事疲れで心の病に侵されているのでしょう。こういった叫びたい衝動は、心の叫びと言える。

一方、動物の捕食への衝動は、カラダで感じていると思う。カラダの衝動はいたって本能的で、心の叫び以上に大きなもの。

カラダの衝動は、五感を研ぎ澄まされると共に、動物のような人の能力を超えた何かを生む。

声なきものに触れたり、雀鬼さんのように音で麻雀ハイが見えてくるようなそんな超常的な能力が宿る。

具体的にはどうするのか?

生死を分けるところまで追い詰めた衝動が必要。

武術のように、生死が掛かっている技術には、このような超常的な能力が宿る可能性が高い。

今の術でも、そのいたるところで、不可思議な力を垣間見る事ができる。



2018年02月11日 (日) | 編集 |

言葉で表現できない感覚は、五感を研ぎ澄ませることで、再現可能。

でも、その感覚は、言葉で表現出来ないから、厄介。


一方、言葉は、事が確実に伝わるため、脳はその通りに再現しようとする。

要するに、脳は言葉を疑いもせず再現しようと試みる。

で、自分は過去に戻ったつもりで、「当時の元気が、当然に今も続く」と言葉で唱えるだけで、本当に当時の軽やかさが再現される。

これは、脳が無意識下で当時の感覚を思い起こして再現しているからと考える。

まるで、言葉が重力と対話して、折り合いをつけたかの様に、カラダが軽くなる。

気持ち次第で持続可能。