古武術研究家 甲野さんの術をお手本に武術の動きを研究しています。稽古会開催中。
2019年01月17日 (木) | 編集 |

あまり親密な関係よりも程々のゆるい関係が重宝される現代では、互いに心が通い合っているのか、いささか疑問に思う。

そもそも、現代人が使う心が通い合うという表現自体が、昔ほど情の繋がりが強くないかも。

この忘れてしまった情の繋がりを思い起こすには、動物や植物などの自然に目を向け、湧き上がる情緒を感じ取れば良いが。

で、古の武術では、それを感じる練習をする。先づは、横隔膜を下げて緊張を解く、手の平の真ん中に位置するツボを押す。見慣れた風景に、自然の流れを感じることが出来るとともに、自身の気配が同化する。

さて、下の動画は人間鞠で、ただ、自然を感じて今を生きれば出来る術。余分な事を考えると、脚がワザとらしく動いたり、反動するジャンプ力が抑えられる。気配を消したり、動物のような強い重心力を二足歩行でも使えるようになる。



2019年01月16日 (水) | 編集 |

現代人は、ひとりの方が気楽で良いらしい。コンビニに行けば、一人分用の食事や日常品がカラフルに揃っていてとても便利。流行のジムやヨガなども、基本的にはひとりでトレーニングするもの。

学校や職場のように集団で過ごす場合には、波風立てないように、互いにゆるい関係を保つ。

集団で生き抜いてきたホモ・サピエンスは、今孤立化の道を選択する事になったと思う。寂しくなったら、スマホの進化形のAIに頼れば良いでしょう。

で、本会の古の武術は、当に現代人に打って付け。名のある達人は、ひとりで山にこもって開眼された。

本会の練習も、武道のような段位による上下関係はなく、型稽古も行わないから、あまり汗も出ないゆるい練習ばかり。

さて、下の動画は、俳優の榎木孝明さんが得意の通称「榎木崩し」、肩にゆるく手を掛けるだけで崩す脱力の妙技。ご本人のやり方は分からないが、濡れ雑巾のように手を使っても無理なので、毛虫が背に付くような、いくつもの足が力感なく張ったような違和感を与える。手に足は付いていないが、支点をかなり散らすことで、それぞれが僅かな力を掛けるだけにする。


2019年01月15日 (火) | 編集 |

久しぶりに朝から日が照る日曜の朝、冬の小寒さは残るものの、小鳥の声も微笑んでいるかのように聴こえる。

こんな時は、猫のように日向ぼっこが一番。姿は見えないものの、それぞれの動物がお気に入りの場所でうたた寝していそう。

で、古の武術では、このまどろみのような「うたた寝感覚」が効く。意識と無意識の狭間のようなもので、そこから自我を消せば、自然の情景に同化したような浮遊感が得られる。これが脱力と大きな力を併存させる。

最近は、こんな感じの術理で全て塗り変わってしまった。久しぶりに動きの動画を撮ったが、やはり、ぎこちなさが消えて、フンワリとしたカラダの動きになっている。6年前の内観を確信して以来の大改革でしょう。

例えば、下の動画は、相手が両手で全体重を掛けて制した場合、片手だけで上げる甲野武術の技「辰巳返し」では、従前は背中に載せるようにやっていたが、より脱力が増してフンワリとした動きに変わった。

フンワリとした辰巳返し




2019年01月14日 (月) | 編集 |

人を率いるリーダーシップや動機付けは、「自己実現への欲求を刺激すれば良い」「人をキチンと評価すれば満足度を高められる」など、誠しやかに職場で研修を受けてきた。何年経ってもこのセオリーは変わらない。

現実には上手くいかない事を経験上知っているが、それは指導者側に問題があると片付けられる。

物事を制御するマシーンのようなこの考え方は、「ああすれば、必ずこうなる」と言うゲームや仮想現実のプログラミングの世界ではなく、現実の世界。蔓延するマニュアルがそれを物語る。

で、古の武術だけは、これが成立しない、「ああしても、必ずしもこうならない」から、敬遠される人が多い。

一応、術のやり方は事細かに理解出来るものの、それを頭で考えるとフリーズする。身体に任せれば良いが、ある程度こなれた身体でないと難しい。

身体がこなれるためには、練習法を工夫しなければならない。例えば、自由に身動きが出来ないほど不自然な条件下の型稽古は、身体を覚醒させる意味がある。この辺りを理解していないと、重要な型稽古がただの反復運動で終わってしまう。


2019年01月13日 (日) | 編集 |

正しいと思っていたものが、ある日突然覆ったり、信じていた人に手を返されるとか、こんな時代では当たり前。アレコレ悩むよりも、「損得関係に立ち返った時やむを得ないな」と考えれば、少し気が晴れてくる。

統計の数字も、昔から自分に合った良い数字しか使わないと言うのが、割と常識のように思っていたから、物事を直感で判断することが多かった。現代のようにデータ至上主義では、直感力が鈍って長いこと誤りが分からなかったかも。

で、古の武術ではデータを重視しない。例えば、骨で息をしたり、神経系で身体全体にくまなく力を伝えたりとか、内観をフルに使う。

最近では、丹田自体が居付きの原因になるかもと、丹田の実像あるいは虚像を腹から飛ばす。