古武術研究家 甲野さんの術を研究しています。稽古会開催中。
2017年04月15日 (土) | 編集 |


自分はどこまで技術が熟達しているのか?

一般的には段位で判断する。世間も黒帯であれば、一応の習得者と思うでしょう。


筆者の場合は、黒帯を付けた当時、自分に自問自答したが、初心の頃に想像した所とは、随分掛け離れている未熟ぶりに愕然とした。


自分は不完全である。全く技術がない。護身にもならない。そう言う未熟ぶりを痛感した。この開き直りのように自覚することは、実は結構重要なのだと後で気が付いた。


どうせ不完全なので、やれなくても仕方がない。別にそれで良いじゃないかと気楽な気分になった。結果、無意識が本音モードで囁いてくれるので、術の向上に大きくつながる。意識が邪魔をしない、無意識にアクセスし易くて、閃きが突然に現れる。


「間違ってもやむを得ない。正解なんてないのだから。」と思う悟りのような気分は、武術の上達のアルゴリズムには必要な条件となるでしょう。


メンツを保つ意義は、術の向上には、全く意味のない。過信は無駄。科学的な学問のように、研究者の主体をハッキリさせて、データの完璧な習得は不要。


端的に言えば、武術に主体は不要。古の達人は命を賭けていた訳だから、いちいち自我を出していては、死を恐れてしまうでしょうから。