古武術研究家 甲野さんの術を研究しています。稽古会開催中。
2018年11月21日 (水) | 編集 |

朝夕と少し寒くなってきたこの頃、冬の到来がもう目の前に。体の動きも固まってくるようで、街行く人が、丸く固まっている石ころのように映る。

でも、最近は、道端に石ころは転がっていない。石ころの自然さえも、失われつつある。

で、都会化された社会では、石ころなど取るに足らない不要物と取られるが、古の武術は、石ころのようなもの。

石ころと言えども、その色形は様々で、軽く投げてみると、上手くコントロールが取れない。まるで、人それぞれが異なる身体の癖のよう。

上手く自分の身体をコントロールする事が、術理の面白さ。


2018年11月20日 (火) | 編集 |
周りからの期待とそれに応えようと自分、こんな状況が自身の出発点と思う。でも、コレは社会へ出る時の出発点、換言すれば、報酬を得る生産活動を人の行動基盤に据えている。

人としての原点と言えるほんとうの出発点はどこにあるのか?

もっと遡り、情緒や思いやりの心、子どもの頃に自然に持っていた時こそが、ほんとうの出発点であるべき。

で、古の武術の出発点、いわば基本と言われるものは「今を見つめる事」と考えている。

繰り返しの練習ではなかなか捉え難いこの瞑想の感覚が、全ての術を際立たせる働きがある。


2018年11月19日 (月) | 編集 |

ほとんど本屋に行く事が無くなった。ネット販売は、長時間立ちながら、本を探すことから解放してくれた。しかも、評価や感想まで書かれ、関連する書籍も簡単に探せる。

ここまで至れり尽くせりだと、知識や情報が簡単に取り出せる。もはや習得した技術や知識は独占できず、誰もが共有しうる。

で、古の武術の術理も公開されているものがほとんど。

例えば、最近の術理は心を扱ったものが多く、気の持ちようで随分と力の質が変わってくる。つまり、一見相反する心と力が交錯して、煌めく動きを作り出す。

でも、この表現ではほとんど理解されることは少ない。教え方に問題があると誤解されるから、知識や情報としては成立しなくなる。

世に溢れる情報は、理解し易さだけを求めているような気がするので、注意が必要。

2018年11月18日 (日) | 編集 |

何を基準に生きれば良いのか、明確な基準のない今の社会では、相対的に判断していることが多いと思う。時に常識も、時と場合に応じて変わる。

そんな中で絶対的な感覚のあるものは生と死で、生きている事は紛れもなく生きている絶対感覚が伴う。

だが、皆が気に入った生活をしているかといえば、そうでは無い。幸せ感覚も相対的なもので、不幸にも事故や災害に遭遇した人も多い。

そんな事を考えると、自分の生活が申し訳なく思え、気難しく不機嫌な気分になる。

そういう時は、古の術理の検証に没頭する。自然に目を向け、摂理を味わいながら癒す。



2018年11月17日 (土) | 編集 |

仕事に大きな情熱を持って就かなくても、何とかやっていける。趣味を持たなくても生きていける。夢中になるものが見つからなくても、生活に支障が出ない。

これをよく考えてみると、夢中になって裏切られたり失敗することを恐れているからで、生涯を通じて夢中な事に賭ける人生は、生きる実感がより強く意識できるかも。

で、自らを振り返った時、職業ではないが仕事として決意した古の武術は、夢中になって賭けてきた感がある。

世間的にはアンチっぽいのでキツイこともあるが、その分ひたすら透明で磨きを掛けてきた。