古武術研究家 甲野さんの術をお手本に武術の動きを研究しています。稽古会開催中。
2019年08月23日 (金) | 編集 |

いくら話しても伝わらない。正論を持ち出せば、余計に感情に走る。言葉でだめなら、実力行使と身体で強引に押し切る、それが今の世の流れ。

でも、古では、言葉よりも身体が先にあって、それを補完する形で言葉があった、そう言う気がする。職人技などは、当に見て覚えるものだった。

で、古の武術も同じだったと思うが、現代では、両方使っても、流派の壁があるのか問答無用状態。

動画は、脱力したエネルギーを間のエネルギーとして使うもの。エネルギーを得るには、一番てっとり早いのだが、こう言う不可思議な言葉の表現は、身体で実証しても門前払い状態。

動画は、脱力のエネルギーでアタック 。

2019年08月22日 (木) | 編集 |

我々人には素晴らしい脳があって、それが全てを統御する。身体は勿論、その統治下にある。だから、様々なトレーニングを積んで、能力を高めていく。

このように、以前は考えていた。一般的には、今の常識。

でも、古の武術を始めて、人々の身体の歪さが一際目立つようになった。モデルさんのような立ち振る舞いが身体の動きを歪めたり、心の不安が身体の動きに如実に現れるなど。

で、武術を追求していくと、自分の身体はどこへ行ってしまったのかと思うようになる。いろいろな生物がひしめき合っていて、それぞれにアクセスしないと、自然で負担のない動きが出てこない。

最近のトレンドである気のエネルギーは、当に生物の集合体や、生命の原点回帰の力のように感じる。

動画は、強く反発する相手への入身投げ 。相手との接触に間のエネルギーを使う。

2019年08月21日 (水) | 編集 |


新しい事を覚え、出来るようになるのは嬉しい。でも、こんな感覚は、随分昔の子どもの頃の感動。大人になるとそんな経験をする人は少ないと思う。


でも、古の武術では、常に新しい術を創造していくので、出来なかった事が、些細なコツで出来るようになる。


秘伝と言うほどのものではないが、発想を変えて術に取り込むと、実に多くの事が出来上がってくる。だから、マーシャルアーツとは、芸術のテリトリーに入るものでしょう。


例えば、オニギリを作るように、両手に気を加えていき、そのままアタックすると、思いの外大きな威力がある。それも、相手への接触は極力ソフトにすると、間のエネルギーは相手の奥底に到達する。


以前あった、石のみの原理とは似てはいるが、後手が前手を叩くのではなく、手の内にある間のエネルギーを圧縮させて弾くような感じ。


動画は、おにぎりを握るように作る間のエネルギー 。



2019年08月20日 (火) | 編集 |


個性的に生きる、自分らしく生きるなど、そんな言葉に憧れるのは当たり前。いつの時代も、その類の自己啓発本が流行る。


でも、どの時代も同じような人同士が発信しあって、グループを形成する。テリトリーに分類できるような…。


一方、地味な生き方に徹している人も、時に個性が噴出する。謙虚に生きることと、個性は共存出来るはず。気負うことなく生きる方が楽に思う。


で、古の武術では、甲野さんの最新の影観法を試してみた。見た目は地味な突き。腰を捻らないから、一般的な武道のパフォーマンスから見て、か弱くヤル気のないように映る。


でも、ここに古武術の個性が光る。つまり、意識でアタックする当にその腕のコースを、少し遅れて無意識のアタックが続く。見た目は、意識のアタックは動かさない。とても難しい術理だが、無意識で動かすことは全く無視して、意識のアタックに集中することがコツ。


動画は、最新の影観法による気配のない突き を真似たもの。


2019年08月19日 (月) | 編集 |

準備は、用意周到に行えば行う程、成功するというのが一般論。確かに当たっているように思うが、時に想定外のことも起こりうる。

想定外を皆無にしておくのが、準備の目的と考えられなくもないが、そこは限界があると思う。実際、準備が良すぎると、相手を誘導する事だけに囚われ、あまり面白い展開にはならない。

古の武術では、定期講座の他に、月2回程公開講座を行っているが、テーマに忠実なシナリオを組めば組むほど、自分にとっては面白くない。

聞き手の習熟度に大きく左右されるから、それに応じて講習内容を変えなければならない。その方がスリリングで、雰囲気も良く成る。

動画は、翼の揚力で合気上げ 。間のエネルギーに繋がった初期の術理で、手を飛行機のつばさの形状のように甲側に反らす。向かい風に離陸する飛行機に見立てて、相手が力一杯抑えてくる力を受けて、向かっていく揚力を発生させる。精密に動けば動くほど、力要らずの術。